<   2005年 03月 ( 8 )   > この月の画像一覧

私の怒り

私の仕事は外国人に日本語を教えること。
この仕事を始めて20年が過ぎた。

この仕事に入ったきっかけは新聞記事。あれは確か、25,6歳の頃。
新聞の一面に日本語教師のインタビューが。

へぇ~、こんな仕事があるんだ。。ナンカ面白そう。

実際に勉強を始めたのは、結婚した30歳になってから。久しぶりの勉強は新鮮だった。

この仕事についてから、私の人生が流れ始めた。

それまではずっと迷子状態。一体自分が何をしたいのかよくわからず、いつも苛立っていた。

私の中にイライラの塊があって、何かが触れるとすぐ爆発する。
「3分に一回怒っていた」と親友は言うけど、それはちょっとオーバーじゃない? 
でも、そのくらいよく怒っていたということ。

周りは大変だったね。。フフフ^^。 私は当時、日本語学校の教務主任だったから。。

ある時、教務の会議中に上司から電話があって、多分その電話が私の怒りを誘うものだったようで、電話を終えた私は会議を無視して、突然掃除を始めたらしい(らしいっていうのは、自分でもよく覚えていないから)。で、他の先生も会議をやめて、私の掃除に従った。。みんな、何がなんだかわからなかったそうだ。

すごい上司、さぞかし大変だったでしょうねぇ。。(ハハハ・・ひとごとですね)

どうしたら怒りがコントロールできるかということは、当時の私の大きな課題だった。

今も思い出す。
親友とお茶を飲みながら、「いつになったら、怒りがコントロールできるのだろう」と思っていた時のことを。。

でも、なおしたいと本気で思えば、なおるものなのです。本当だよ。

今の私を見れば、昔の私を知っている人はビックリするに違いない。
だって、怒らなくなったもの。

いつしか私の中のイライラの塊が消えていた。

・・・もしかして、多分、それは、瞑想のおかげかもしれない。

ある時、タイ人のニワト君が、「先生、瞑想してください」と私に一冊の瞑想の本をくれた。

「瞑想なんて、何の役に立つのよ!」とその時思ったことを、今でも忘れない。

でも、役に立ちました。・・・ごめんね、ニワト君。

瞑想こそが、どうすれば怒りがコントロールできるのかということに対する答えだったのだ。

悲しいかな、答えはいつも与えられているのに、「自分が気づかない」だけ。。
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-31 23:24 | メッセージ

明日から。。

今日で3月が終わる。

・・・ってことは、明日からちゃんとハングル、勉強しなくちゃいけないんだよね。。

別に嫌なわけじゃないけど、プレッシャーがある。語学は何一つものにならなかった私。
果たして続くのだろうか・・??

でも、今は......ヨ、ヨンハ君がいる。

テンテンも聞けるようになりたいし、直で話もしてみたいし、リクエストもしてみたいし、ファンレターも書いてみたい・・・フムフム、今回はいける?かも。。

昨日、駅前で韓国語教室のチラシを発見した。 ・・・これって、つまり、行けってこと?
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-31 11:09 | pyhハングル学習

お帰り~pyh☆

来週、ヨンハ君が来日する!
日韓友好年のイベントで2週間ほど、松山から青森まで日本各地いろいろ回る。

相変わらず半端じゃないね、ヨンハ君。

ヨンハ君はすごくかっこいいんだけど、ナンカ不器用な感じなんだよね。なんでそう感じるのかしらね。でも、それは私だけじゃないみたい。何かの雑誌にも書いてあった。

フフフ。。多分そのライターは女性ですね。

今までヨンハ君が来日した時、「オソオセヨ!」って心の中で言ってたけど、これからは「イジェオニ!(おかえり)」って言おうかな。


今は「スピードラーニング」の第1巻のハングルだけのCDを、MP3で聞いている。
でも、このMP3には、ヨンハ君のアルバム「期別」と「fiction」が入っていて、なんかその合間に会話を聞いているという感じなので、あまり勉強にはなっていないかも。。

歩きながら、時々口ずさんだり、踊ったり。。
ソトから見たら、多分、私はへん^^。

でも、少しずつ言葉が残っていくみたい。
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-30 22:32 | pyhハングル学習

絶対的な愛

今日は父の命日だ。

亡くなって何年になるのだろう。28年かな?
数字で書くとすごいけど、ナンカあっという間だった。

父を思う時、真っ青な海で気持ちよく泳いでいる魚のような気持ちになる。
真っ青な海が父で、気持ちよく泳いでいる魚が私。

父は海に落ちて亡くなった。もともと漁師で、泳ぎの得意な人が海で亡くなるなんて。。

事故で愛する人を失うのは、心の準備ができていない分、亡くなってからが辛い。
私もずっと悲しかった。

よく夢を見た。父が本当は生きていて、私はうれしくて泣いてしまう夢。
気がつくと、枕が涙で濡れている。

そんなことがよくあった。

父が亡くなって7年くらい過ぎた頃、どうしていつまでもこんなに悲しいのだろうと、突然思った。
もちろん、父が亡くなったことは悲しいに決まっている。
でも、どうしていつまでもこんなに悲しいのか。。

それで、あるセミナーを受けた。
そのセミナーを受けていて、気がついた。

悲しかったのは、自分の貧しさだったということに。。

私は子供の頃から、父に学歴がないのを恥ずかしく思っていた。
労働者じゃなくて、もっと知的な職業だったら、と空想したりもした。
でも、それはもしかしたら、つまらない乙女心っていうものだったのかもしれないのだけど。

父が亡くなって、仕事をしていた小さなタンカーに荷物を取りに行った時、めまいがした。
気が狂いそうだった。

私はなんという娘だったのだろう。

こんな小さな船で私達家族のために一生懸命働いていた父を恥ずかしく思うなんて。。
私は自分が許せなかった。

そのセミナーでわかったことの一つは、この世で一番許せない人間が自分だったということ。
父のことだけじゃなくてね。

セミナーの最後の最後に、父を想った。
すると、父の声が聞こえた。本当に、父の声だった。

・・・京子、幸せになれよ。

懐かしい父の声。でも、思いがけない言葉だった。

わかってもらえるだろうか。私はその言葉で一瞬のうちに癒されたのだ。
父の声は、親の愛なんていうものではなく、絶対的な愛に満ちていた。
私は父が神の国の人であると思った。

私は光に包まれたように感じ、そして、自分の細胞の一つ一つが癒されるのを感じた。

「許す」とか「許される」とか、そんなレベルじゃなかった。

その時、神の国の人にとって、この世の人の感情や想いなんて意味がないことなのだと知った。

そこには絶対的な愛しか存在しない。
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-30 00:46 | メッセージ

スタートライン

昨年の韓流ブームに、私も見事に乗ってしまった。

で、はまってしまったのは、ヨンさまではなく、パク・ヨンハ君^^。

いい年をして(でも、韓流ファンは、みんないい年なのよね)、ナント「成田お出迎えデビュー」をしてしまった。
2m先の、生のヨンハ君は、お肌すべすべで本当に素敵だった。
息子くらいの年の子のファンになるなんて。。世の中、ナニが起こるかわからない。

ヨンハ君は韓国のSBS放送で「テンテンクラブ」という番組を毎日やっている。

昨日初めて「マニピゴナジョ」という文が聞き取れた!
2時間聞いてて、たったそれだけって情けないけど、ね。。

4月からはちゃんとまじめに勉強しよう。・・・早速ラジオのハングル語テキストを購入。
ツンドクにならないことを願って。。
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-29 14:35 | pyhハングル学習

メメント・モリ

人はいつから記憶があるものなのだろう。

私の一番古い記憶は、夜、母の実家から弟と3人でバスで帰ってくるところ。
遊びつかれて寝てしまっているところを起こされて、仕方なく起きる、あの辛さ。
たった2歳しか違わない弟は絶対に起きない。母は弟を背負って、私は歩く。

一体私はいくつだったのだろう。

数年前の中学校の同窓会で恩師に、当時の私はとても大人っぽかったと言われた。
「へぇ~。」と思った。

私が小さい頃、我が家では母と祖母の折り合いがあまりよくなかった。
母を見ていたら、いつの頃からか、私の方が保護者のような気持ちになっていった。

それが昔から今でもずっと続く、母と私の関係性。

母は私にあまり甘えない。私が結婚していることでずいぶん遠慮しているように思う。
情があって涙もろくて、でも現実的な部分もあって、働き者で、親しみやすい人。

母は私のルーツだ。
しかし、いつかは母と別れなければいけない。・・・考えるだけで辛くなる。

「メメント・モリ(死を想え)」という言葉がある。
自分の、愛する人たちの、死を想いながら生きれば、きっと人生は変わる。

私がこんなに愛していることを、いつでも、みんなに、ちゃんと伝えなければ。。。

いつも、今日と同じ明日が来るとは限らないから。
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-29 09:27 | メッセージ

誕生のこと

以前、「過呼吸」のワークショップに出たことがある。

その時、「原体験」(これでいいのか?)を体験した。原体験というのは、自分が生まれた時のことを思い出す体験のこと。

スパスパ呼吸を早めていったら、一気に意識が奈落の底(本当に!)に落ちていった。まるでジェットコースターのようだった。

気がついたらすごく苦しかった。苦しくて苦しくて我慢できないと思った瞬間、目の前がパァーと開けた(という感じ・・)。。

私は本当にうれしくてうれしくて笑い転げてしまった(これは実際にそうなった)。
その時、わかった。それは私の誕生の瞬間だったということが。
外から見たら、泣いていると見えていたかもしれないけど、本当は違う。

笑いこけていたのだ。

もしかして、もしかしたら、みんな、そうなのかも。。


昨日、義家弘行さんのドラマを見た。その中で「本当はたくさんの愛に包まれていたのに、自分がその愛を感じられなかったのだ」という言葉があった。

そうなんだよね。
本当は誰もが愛に包まれている存在なのだ。でも、それが感じられないだけ。

「シアワセとは、今持っているものに感謝すること」というのも、そのドラマの中の素敵なセリフの一つだった。
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-28 09:01 | メッセージ

はじまり、はじまり

3月4日に51歳になった。

51だって??
自分でも信じられない数字だ。
本当は3月4日にこのブログを始めるつもりだったが、今日になってしまった。

30日は父の祥月命日だ。
父は49歳で亡くなった。

それで私は、父が生きられなかった50歳からの日々をどう生きるか考えていた。
40歳も後半頃から、自分のための人生は49歳で終わりして、50歳からは人のために生きよう
と思った。

1年経ったが、まだ本格的にそうなってはいない。

私が選択したのだから、いつか(そう遠くないいつか)何かが与えられるだろうとなんとなく思っている。

だから、あせってはいない(多分)。
[PR]

by yamakyon50 | 2005-03-27 07:18 | メッセージ